第1章 いつもの席で
今日も、いつもの席に座る。
旧藩邸の跡地に建てられたオフィス。その大きな窓からは、庭の名残をとどめた木々がよく見える。
枝先は、赤や黄色に少しずつ色づき始めていた。
背中を預けたCG-Mの椅子が、今日はいつもより少し柔らかく感じられる。
あと数ヶ月で、この席を離れる。
今年の秋が、この窓から眺める最後の紅葉見物になるのだろう。
そう思うと、長年見慣れた景色が、一段と鮮やかに映った。
第2章 “はずれくじ”のような配属
大学を卒業して入社したのが、今の会社だった。――もう、42年前のことだ。
最初の3年間は順調だった。
化学メーカーとして、自社製品を工業用の部品や製造工程の消耗品に組み込んでもらう部署
製品力にも競争力があり、努力すれば結果が出た。営業が面白かった時期だ。
ところが4年目、運命が変わる。
創設されたばかりの「包装用製品」を扱う新部署に異動となった。
包装用製品は、競合より価格が高く、優位性もほとんどない。
しかも使われるのは製造工程の“最後”。
製品は開封と同時に、すぐ捨てられてしまう。
付加価値を語ることの難しい商品だった。
さらに新参メーカーということで、競合からの“いやがらせ”も続いた。
- せっかく獲得した顧客に、白紙の見積書を渡し「いくらでもいいから書いてくれ」と値崩しを仕掛けられる。
- 代理店に行けば、「お宅、包装事業やめるんでしょ?」と根も葉もない噂を流される。
今の時代なら、きっと心を病んで退職代行を使っていたかもしれない。
それほど、心がすり減る日々だった。
それでも――当時の私たちは燃えていた。
「売って、売って、工場を動かそう」
その一心で走っていた。
とはいえ、代理店の数も少なく、付き合いの歴史も浅い。
営業マンの数も競合の10分の1。
正面から勝てる相手ではなかった。
包装用製品は、1物件あたりの売上金額も小さく、メーカーが単独で動いても売上はたかが知れている。いかに代理店に広く売っていただくかが勝負。
だから考えた。
“どうすれば代理店に喜んでもらえるか”
そこにしか勝ち筋はないと思った。
AIに相談できる時代ではない。
だから、自分の頭で、体で、考えた。
まずは、徹底的に「好かれる努力」から始めた。
- 見積は即日対応。出張先のホテルで、晩ごはんを食べながら作成した。
- ゴルフやスキーに誘われれば、自腹でも参加して仲間になった。
- 忘年会の予定を聞きつけては、居酒屋に酒を差し入れた。まるで今でいう“サプライズ”だ。
そうして少しずつ距離が縮まる中で、私は一つの確信を得た。
「代理店の課題を、自社製品でどう解決できるか」――そこにこそ営業の価値がある。
だから説明会では、単なる製品紹介をやめた。
事前に代理店のユーザーの困りごとを調べ、
「この問題は、うちの製品のここを使えば解決できます」と、相手の立場に立って話すようにした。
眠くなりがちな夕方の代理店向けの説明会では、ニュースステーションの久米宏さんを真似て、
“中学生にもわかる説明”を意識した。
やがてSWOT分析に出会い、
「自分の強み」と「販売機会」を掛け合わせて課題を解く手法を身につけていった。
そして、どんなクレームも「ありがたい改善のヒント」と受け止める“スーパー・ポジティブ思考”を 自分に課した。
そうしているうちに、少しずつ、信頼の輪が広がっていった。
不器用な私は、気づけば“人と人をつなぐ営業”になっていた。
第3章 伝える力が、道をひらいた
私の会社は、もともと付加価値の高い工業用製品を、工場などの最終ユーザーに直接PRすることを 得意としていた。
製品は高価だが性能も高く、利益率も良い。メーカーとしては理想的なビジネスモデルだった。
しかし間に入る代理店は、専門的な知識を持つ人が少なく、製品の価値をうまく伝えられない。
その結果、いつまでもメーカー自身が前線に立ち、直接ユーザーに説明するしかなかった。
ここに大きな壁があった。
メーカーの営業の人数には限りがある。
いくら頑張っても、直接訪問できるお客様の数は決まっている。
だから売上も、あるところで頭打ちになる。
さらに、会社内部にも問題があった。
当時は「事業部制」といって、製品ごとに組織が分かれていた。
それぞれが自分の製品だけを追いかけ、他部門の製品が目の前にあっても知らん顔をする。
「自分の売上にならないから」。――そんな風土だった。
そこで会社は新たに、「代理店販売部」という部署を立ち上げる事になった。
事業部の壁を越え、すべての製品を一人の営業マンがまとめて代理店に紹介し、
中小規模のユーザーには代理店の力を使って販売する。
そんな“橋渡し役”を担う組織だった。
ところが、いざ始めようとすると難しい。
会社には優秀な営業マンが多くいたが、彼らはあくまで“ユーザーに売る”プロ。
代理店を動かして成果を出す――そんな経験を持つ人は、ほとんどいなかった。
そんな中、なぜか私に白羽の矢が立った。
「この販売部の責任者をやってほしい」と。
ユーザーではなく代理店と一緒に動く“ちょっと変わり者の営業”――それが私だった。
各事業部から集められた営業たちは、同じ会社の社員でも文化が違う。
ルールも、考え方も、まるで別会社のようだった。
代理店もまた、業界によってカラーや方向性がまちまち。
「統一マニュアルを作ってくれ」と言う声もあったが、そんなものは存在しない。
営業、スタッフ、事業部、代理店――その組み合わせが違えば、最適なやり方も変わる。
百通りの人がいれば、百通りのやり方がある。
だから私は、こんな方針を出した。
「自分たちが売りたいものを売るのではなく、
代理店が抱える潜在的なニーズを探り出し、
各事業部の計画と重ね合わせて“共に売る”戦略をつくろう。」
この発想の根っこには、包装製品のときに学んだSWOT分析の考え方があった。
“強み”と“機会”をかけ合わせて突破口をつくる――あの経験が生きていた。
また、代理店への説明も変えた。
これまでは「こんな製品がありますよ」と製品軸の紹介だったが、
これを「皆さんのユーザーが困っているのは○○ですよね。
その解決にはこの製品が役立ちます」と相手軸の説明に変えた。
単なる製品紹介ではなく、“相手の成功を一緒につくる営業”。
この考え方が、やがて会社全体を変えていくきっかけになった。
第4章 点と点がつながった瞬間
ある日、YouTubeで偶然見つけた一本の動画が、私の心を揺さぶった。
アップル創業者スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式で語ったあの伝説のスピーチだった。
――「もし大学を中退したあとに、あのカリグラフィ(飾り文字)の講座を受けていなかったら、
当時のマッキントッシュに美しいフォントは搭載されなかっただろう。
そして、今の世界に多彩なフォント文化は生まれなかったはずだ。」
彼は言った。
“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward.”
(点と点は、未来を見ていてもつながらない。振り返ったときに初めてつながるのだ)
その瞬間、全身に電流が走った。
――ああ、そうか。
私が今、この部署で責任者を任されたのは偶然じゃない。
若い頃、「はずれくじ」と思っていた代理店営業で、もがき苦しんだ日々。
その中で磨いてきた“人と共に売る力”が、今の私を形づくっていた。
社内に、代理店との共生をここまで体感的に理解している人間は、私しかいなかった。
数ある仕入れ先の中で、代理店が私たちを選んでくれた理由。
それは、私たちが“メーカー目線の押し付け”ではなく、
彼らの立場に寄り添い、一緒に描いた販売プランを提案したからだ。
メーカーが「売りたいもの」ではなく、
代理店やユーザーが「求めているもの」。
そこに当社の強みを重ねる――
その考え方こそ、あの包装製品時代に出会ったSWOT分析から生まれた発想だった。
そして何より、その販売戦略を誰もが理解できる言葉で伝えられたこと。
それが、仲間や代理店を動かし、結果を生み出した。
気づけば、すべての“点”はつながっていた。
あの時の苦しみも、迷いも、逃げずに向き合った時間も。
それらが、今の自分という“線”を描いている。
第5章 これから、また新しい席へ
60歳を過ぎた頃から、ふと考えるようになった。
――定年のあと、自分は何をして生きていくのだろうか。
若い頃、65歳といえば「もうお爺さん」。
新しいことを始めるより、悠々自適の隠居生活を送る年齢だと思っていた。
でも、いざ自分がその年齢に近づいてみると違っていた。
長年の仕事で培ったスキルは確かに積み重なり、
AIの活用もできる。オフ会や学びの場で新しい出会いにも恵まれる。
――まだまだ、自分は“現役”として挑戦できる。そう気づいた。
シニア向けの仕事を探すと、掃除、警備、マンション管理、介護など、
どれも社会に欠かせない尊い仕事ばかりだ。
しかし、体力を要する職種が多く、自分の経験や知見を活かす場ではないと感じた。
そんな中、オーディブルで360冊以上の本を聴いた。
「労働者」から「資本家・経営者」の考え方を学び、
“自分の裁量で働き、人に感謝され、報酬をいただく”ことが、
本当の意味で幸せな仕事だと知った。
では、自分は何をするのか?
リベシティの両学長が紹介する「副業16選」の動画を何度も見返し、
2年間考え抜いた。
思えば、これまでの人生には常にレールがあった。
幼稚園、小学校、中学、高校、大学、そして会社。
どこに進むかの違いはあっても、大きな道筋は決まっていた。
だが、定年後には“決められた道”はない。
だからこそ、誰もが迷うのだ。
そんなとき、ふと思い出した。
ジョブズの言葉――「点と点は、振り返ったときにしかつながらない」。
ならば、私も自分の“過去の点”をたどってみよう。
そうすれば、未来への“線”が見えてくるかもしれない。
まず取り組んだのは、慣れ親しんだSWOT分析だった。
自分の強み、弱み、市場の機会、脅威を整理してみた。
自分の強みは――
- 文章を書くことが好き。
- 定年後の準備を人一倍やってきた経験がある。
- 困難にめげず、継続できる。
- 物事を理解し、自分の言葉でわかりやすく説明できる。
市場の機会は――
- 50代・60代のサラリーマンたちは、定年後の未来を考えるのが怖くて避けがち。
でも、心の奥では「誰かに教えてほしい」「ヒントがほしい」と思っている。
この“強み”と“機会”の掛け算から、答えは自然に導かれた。
『サラリーマンが定年後を幸せに、自由に生きるには?』
そのヒントを、自分の体験を交えて、わかりやすく伝えるブログを書こう。
「仕事でお客様に伝える」から、
「自分の言葉で、同世代に“定年後の準備”を伝える」へ。
包装という仕事から、
今度は“読者の不安をやさしく包み込む”仕事へ。
ブログを始めて半年。
毎回読みに来てくれる人もでき、少しずつ未来の形が見えてきた。
そこに、もう“老後の不安”はない。
1年後、私が座っている席は、きっとここではないだろう。
自宅のデスクか、カフェのソファか、車の運転席か。
けれど確かにわかる――
私はこの席を離れ、今度は自分の言葉で、人と人をつないでいく。
後輩たちに朝の挨拶をしながら、
今日もこの席に、静かに腰を下ろした。

定年準備中の64歳サラリーマン。
実体験をもとに、定年後のお金・健康・暮らしについて発信しています。 同じ立場の方が、少し楽になるヒントを届けたい。


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